遊の日記

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偶像崇拝って良い?悪い?

 仏壇や神棚に手を合わせる事って良いことよね。煌びやかな教会も大好きです。神聖な場所で静かに佇みお祈りするのも良い。そもそもLinは歴史的建造物に興味があり、その様な場所に行ってみては写真に収めるのが趣味の一つでもあります。昔の技法で造られた物の形を愉しんでいる。といったところです。どこの宗教にも属してませんから、各々の作法など細かいことは存じませんが、常識の範囲内で、器物破損や窃盗がイケナイことぐらいは判ります。(お金を出して買った物では無いから当たり前ですけど) そんなLinが偶像崇拝について語れるわけでもなく、属してないLinの意見としてブログを書きます。

 冒頭で触れたように、Linが偶像崇拝好きなのが分かると思います。敬意を祓って見学もしてます。お経を唱えたり、お祈りを捧げたりするには、形あるものを設置した方が習慣化されやすく、誰が何に対して行っているのかが明確です。昔は権利の象徴で造ったりもしたでしょうが、今は関係ない。しかしそれらは、ただ目が見えて形を認識出来るからなのですよ。Linが盲目になった時、御加護や恩恵は受けれないのでしょうか?そんな事はあってはならないですよね? 目が見えていても形式だけ整えていれば徳が積めると形だけの人もいらっしゃるでしょう。

 Linはこの様な二つの理由から、偶像崇拝を絶対的な感覚で行うのは避けるべきだと日頃から考えています。最終的には気持ちなのですから。

 いつ、どんな場所であれ、心の中で願い祈り懺悔することは可能です。既に人とは、その様に生きています。

そこで子供のころ学校で学習した、絵踏みを例にしたいと思います。決して詳しくは習っていないので、ざっくりした内容で説明すると、江戸幕府ではキリスト教を廃止しようと、信徒にイエスキリスト又は聖母マリアの絵や像を踏ませ、拒んだ者は処刑される禁令。  これについて、まず、信徒が神を象徴する物を踏むと神に対する裏切りですか? Linの答えはイイエ違います。               物は神でも人間でもありません。 神も人間も物ではありません。    自分の命、自身が人間であることを捨てても良い紙切れや像など存在しません。

大切な我が子、愛する人の為に命捨てます!って時が来るかも知れません。対象となるのは人です。物ではありません。

ましてや、神や仏が、自身を象徴する絵や像の類を化身だと言って「これを踏むなら命を落とせ!」と望みますか?

 邪な気持ちで粗末に扱えば罰の一つも受けた方が宜しいでしょうが、状況を考えましょう。命より絵の類である化身が大事だとお考えなのは、神でも仏でもゴザイマセン。物である絵踏みは、実際に誰かを踏みつける行為ではありません。自分の命の為に踏みましょう。気持ちが神への裏切りでなければ良いのです。神は心に宿るものだとLinは考えます。    心から尊敬し信じて来た人が「私の化身の代わりに処刑されろ!」と発言したら、もう崇める対象ではありません。 厳しい修行を積んで来た人の発言が「俺は偉い位だから大層に扱え!」だとしたら違和感しかありません。むしろ修行などしてませんよね? 恐らく、誰かを陥れて拷問し、自分は厳しい修行に耐えた!と、手柄にしてきたのでしょう。

 現代において、純粋な気持ちでの信仰を手玉に取るような悪意ある人こそ処刑される対象とすべきです。 会社を宗教法人で設立し、宗教上の儀式だと主張すれば大概のことは話が通ると、何処かで聞きました。Linはソレを似非とか雑魚と書き表す時があります。 彼らは法人を(会社や学校と呼んでるようです)盾に神や人を物である道具にしているからです。  Linのように何処にも属していない人をターゲットに付きまとい【使っていい対象】としています。偶像も悪用する凶悪犯としてしか見れませんが、彼らは正しい行いをしていると主張しているところも恐ろしく気色悪いです。

  まとめます。        神 仏 人 = 物ではありません。               神 仏 ≒ 人

  二つ目の、人は限りなく神や仏に近いと表す意味について述べます。

Linは神も仏も、その存在は自分が決めることだと考えます。自分の行いや考えは神や仏の近くにいるのか?自分を躾、戒める為に、自分と比べる対象として必要な人には存在するのだと思います。その様な考えを日々胸に秘めている人を神様のような人だと人は云うのではないでしょうか。人間であったイエスキリストが神様と呼ばれているのを考えれば、神に近い人が神と呼ばれる様になったのでしょう。

 この様な内容を書いてるLinは口も悪く破天荒で世間一般からすればズレ堕ちた行動をとってます(笑)あまりの境遇の悪さに 神様なんか居ない!!助けられたことなどない!!と怒りを露わにしていた時期もありました。そうです。神様は居ないのです。目指さなければ存在しないのですから。      最後に、躾は自分自身にいたしましょう(笑) 他人にするものではありません。Linでした。